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1999
真鍋選手初V
2000/6/19 (月)
7ホールにわたるプレーオフを制し、増島選手(右)と握手を交わす真鍋選手=相模カンツリー倶楽部 |
激闘7ホールのプレーオフの末、真鍋早彩選手(18)=川崎=に栄冠-。2000神奈川県アマチュアゴルフ選手権大会女子の部決勝は6月19日、大和市下鶴間の相模カンツリー倶楽部(6262ヤード、パー74)に99選手が参加、18ホールストロークプレーで行われ、76ストロークでラウンドした真鍋選手と増島忍選手(18)=座間=によるプレーオフの末、真鍋選手が初優勝を飾った。
女子アマ決勝で史上初のプレーオフは、大学一年生同士の"マッチプレー"で争われた。1番(371ヤード、パー4)と4番(527ヤード、パー5)を繰り返し、互いに譲らず四度目の1番ホールで勝負はついた。約5メートルのパーパットを外した増島選手に対し、真鍋選手は1・5メートルのパーパットを沈めて約1時間半に及んだ激闘を制し、第20代女王の座をつかんだ。1打差の3位には栗原美佐枝選手(横浜)が入った。
表彰式では優勝した真鍋選手に優勝杯、チャンピオンブレザーなどが贈られたほか、10位までの選手に記念品が贈られた。
優勝カップを手に笑顔を見せる真鍋早彩選手 |
「明」重圧はねのけ栄冠
しびれる1・5メートルを真ん中からカップイン。ボールを拾ったヒロイン真鍋早彩選手は同じ年のライバルと固い握手を交わした。
ゴルフ歴8年目で初めてのプレーオフ。「相手は一人なので、始まる前はマッチプレーに似てるのかなと思ったけど全然違いました」。ミスをすればその時点で負けが決まる。そのプレッシャーは想像を超えるものだった。
ピンチは何度もあった。プレーオフ最初のホールで第2打がグリーンオーバー。しかし返しのアプローチを1メートルにピタリ。三番目のホールは第2打をグリーン左のバンカーに入れた。ところが、これも2メートルに寄せてナイスパー。
淡々とプレーしているように見えたが、プレーオフが長引くにつれて「相手にとって不足はない。バーディーを取らないと勝てない」と自分にいい聞かせ、奮い立たせて苦しい局面に立ち向かっていった。
出身は愛知県一宮市。小学六年生からゴルフを始め、中学、高校は高知・明徳義塾へ。大学も「レベルの高いところへ行きたい」と日体大の門をたたいた。
厳しい環境を選んだのは上達のため。「甘えたらゴルフにならない」とプロを目指して修行の道を進む意志の強さがプレーオフでも発揮された。
ウイニングパットは「今日はずっと外していたので自信を持って打てる距離じゃなかった。入ってくれ、と思った」。カップインの音が心地よく響き、最高の笑顔が浮かんだ。(岡部 伸康)
「暗」けが押しての激闘、大きな自信つかむ
プレーオフ開始から1時間半余り。増島忍選手の足はいよいよ痛み出していた。
無理を押しての出場だった。5月末、練習中に右足首をはく離骨折。「全治1カ月」。だが、予選をトップで通過し、3度目の挑戦で初めてつかんだ決勝ラウンド。「何が何でも出たかった」
勝負を決したプレーオフ7ホール目の1番ホール。それまで何度もピンチを救ったアプローチショットに、わずかな狂いが生じた。PWを引っ掛けてショート。「悔いを残さないように」と強気に攻めた5メートルのパーパットも、無情にもカップ左をすり抜けていった。「最後は足が気になって。あのアプローチだけ悔いが残っちゃいました」
ケガの後はまったく練習ができず、この日はぶっつけ本番。「平常心を保とう」と朝から黙々とラウンドを重ね、初めてというプレーオフも堂々と渡り合った。中央学院大に通う一年生。キャリアはまだ3年だ。悔しさを口にしながらも、「これまで途中であきらめてしまうことが多かった。この状況でここまでやれたのは自信になった」
激闘を終え、拍手で迎えられた表彰式。「皆さんお待たせして、すいません」。県アマ20年の歴史に残る名勝負を演じ切った、まだあどけなさの残るその顔には、すがすがしささえ漂っていた。
◆後半に意地発揮/昨年女王鈴木(章)選手
〇…昨年の女王の鈴木章古選手(横浜)はトータル85で18位タイに終わった。
前半のアウトが「アイアンショットが(グリーンに)乗らなくてずっとボギーだった」と9オーバーの46。ハーフ終了時点では首位に10打差をつけられたが、後半に意地を発揮した。
39でラウンドして18位タイに滑り込み、スコアカード上のサドンデスで来年の決勝シード権をぎりぎりでつかんだ。「気持ちを切り替えてできたのがよかったかな」と悔しさの半面、笑顔も浮かんでいた。
◆悲願のアベックVならず/3位の栗原選手
〇…"男女アベック優勝"ならず-。前半36の首位で折り返した栗原美佐枝選手=横浜=は後半崩れ、結局3位。栄冠に1打届かなった。
「どうしても勝ちたかった」。栗原選手は男子の県アマ優勝者・金子光規選手とは、ともにレッスンプロである手塚文雄さんの指導を受けた仲。今年はちょうどその恩師の七回忌。金子選手に「節目の年にそろって優勝できたらいいね」と励まされたという。
ドライバーの飛距離が平均230ヤードの"飛ばし屋"だが、後半に肝心のドライバーショットが乱れ、トータル77。「先生の教えを思い出し、来年頑張ります」と出直しを誓っていた。
◆田村選手ら4人出場/中学生
〇…中学生4人が出場した決勝ラウンド。その中には、プロ野球日本ハムの元捕手田村藤夫さん(40)の二女麻衣選手(14)=川崎=の姿も。
両親に見守られながらのラウンドも「アイアンが全然だめでした」。結果は101。それでも予選を通過して初めての決勝ラウンドに「いい経験になりました」。
、中学一年からクラブを握り、将来「プロになること」を夢見る14歳。同じようなケースには福嶋晃子や東尾理子らがいるが、父・藤夫さんは「よく比較されるが、まだまだ。いまは楽しんでくれればそれでいい」と話していた。
最年少は田名中一年の吉田弓美子さん(13)=相模原=。小学生の大会では優勝経験があるが、今回は勝手が違ったようで95に終わった。「大人の人と回って勉強になりました」と話していた。
金子光選手混戦を制し悲願の初V
2000/6/12 (月)
正確なショットで1アンダーをマーク。初優勝した金子光規選手=相模原ゴルフクラブ |
2000県アマチュアゴルフ選手権大会男子の部決勝は6月12日、相模原市大野台の相模原ゴルフクラブ(27ホール=10576ヤード、パー110)に161選手が参加、東・西の27ホールストロークプレーで行われ、1アンダー109の好スコアでラウンドした金子光規選手(31)=横浜=が初優勝した。1打差の2位には前年優勝の石井保行(39)=厚木=ら四選手が並ぶ大接戦だった。
あいにくの雨天のラウンドとなった。金子光選手は、切れ味鋭いアイアンを武器に後半の9ホールで4バーディー(1ボギー)を奪い、混戦を抜け出してトータル109にまとめ、逆転優勝した。
金子光選手は10月18、19日に宮崎県フェニックス高原カントリークラブで行われる「全国都道府県対抗アマチュアゴルフ選手権大会PRGR CUP」への出場権を獲得。来年の決勝シードは115ストロークまでの上位20選手が、準決勝シードは125ストロークまでの上位120選手が手にした。
優勝カップを勝ち取り喜ぶ金子光規選手=相模原ゴルフクラブ |
◆逆転呼ぶ完ぺきショット
東アウト4番(パー4)、この日通算22ホール目のセカンドショット(7I、約150ヤード)は、ピンの横30センチにピタリと落ちた。日大ゴルフ部で活躍し、昨年まで日本代表にも名を連ねた金子光規選手(31)をして、「めったにあるものじゃない、完ぺきな手ごたえ」と言わせたスーパーショットが、逆転の、そして念願の初優勝を呼び寄せた。
調子は決して良くなかった。「グリーンが重くて、パットが合わなかった」という前半18ホールは、2オーバー。「せめてパープレーじゃないと、勝負にならない」と臨んだ後半は、いきなりボギー。続くホールもしのいでパー。
だが「やっちゃた(ボギー)と思った」という矢先のベストショットで、風向きはガラリと変わった。続く5番、7番とバーディー。競技委員に他選手の結果を聞き、バーディーならトップという状況の最終9番(ロング)でも、約80ヤードの第3打をピンから約1メートルにつけ、フックラインを丁寧にカップインさせた。通算1アンダーのフィニッシュ。「(4番で)いけるんじゃないかって、その気にさせるショットでした」。試合後の金子選手は、手ごたえを確かめるように振り返った。
実力、実績ともに申し分なく、ここ数年は常に優勝候補に挙げられてきた。だが「高校生のころから挑戦していて、出場何回目かは覚えていない」(金子選手)という県アマのタイトルが、なぜか取れなかった。今年は春の選考会で日本代表に選ばれず、プライベートでは結婚するなど奮起する要素が多い、いわば勝負の年。「練習量は変わってないが、攻め方や考え方、意識が変わってきた」と金子選手。先の関東アマでは3日目まで3位につけ、この日は優勝と、結果を出した。
悲願の優勝。金子選手は「今日は自分に風が吹いただけ」と、謙虚な表情を崩さない。だが「やっと獲れたタイトル。精進して、来年も手放さないようにしたい」。連覇に向けて、大きな欲も出てきたようだ。
◆昨年優勝の石井保選手、パットに泣く〇…昨年優勝の石井保行選手(39)=厚木市=は、18ホールをトップの2アンダーで折り返す上々の内容。だが、ラスト9ホールでパットが思うように入らず、1打差で連覇の夢が消えた。西アウト3番(ロング)で、約1・5メートルの下りのバーディーパットをわずかに外してリズムが狂った。6番(ショート)では約8メートルのロングパットが寄り切らずに3パットのボギー。「あぁー」と大きな声を出し、いらだちをあらわにした。結局9ホールはノーバーディの2オーバー。「実は今朝、パターを換えた。これを使うのは2度目。こういう失敗をよくやっちゃうんですよ。あー、負けちゃった」と、悔しさいっぱいだった。
◆高校生の小川、2年連続入賞
〇…厚木北高三年の小川純一選手(17)が6位タイに入る健闘をみせ、昨年の7位タイに引き続いて連続入賞を果たした。
小川選手の最大の武器は何と言っても、280ヤード前後は出すプロ顔負けの飛距離だ。この日も東アウトの2、3番(ロング)で連続バーディーを決めた。ドライバーで約280ヤード飛ばして、持ち味を思う存分に発揮した。
反省点は「グリーンまでの距離感をつかめなくて、オーバーしたりしたこと」。東アウトの9番(ロング)ではグリーンを外し、ボギーにしてしまった。それでも「結果には満足しています」と笑顔。ただ、1位と2打差だっただけに悔しさも大きい。「もう少しだった…。来年は必ず優勝したい」と、意気込みを語っていた。
◆残念、プレーオフ実現せず/ホールアウト組選手
〇…トップと1打差のイーブンパーが4人出るなど、あわやプレーオフ寸前までいった男子決勝。すでにホールアウトした選手たちは"期待"して試合経過を見守ったが実現せず、肩を落とした。
パープレーで早めに終了した竹原洋行選手(29)=横浜=は、大会関係者から状況を聞かせられ、着替え直してプレーオフを待った。だが願いは空振りに。「最後のホールでバーディーが取れれば」と悔しがった。その東アウトの9番(ロング)。残り3メートルのバーディーパットが弱く、右にそれてしまった。「まあ、でもショットが安定していたからよかったです」と気持ちを切り替えていた。
長島庄平選手(19)=鎌倉=もその中の一人。放送で急に呼ばれ、準備を整えていた。「バーディーチャンスが7度ぐらいはあったがパットが決まらなくて」。こちらは自分自身に納得していない様子だった。
杉崎選手逆転V山口選手初栄冠
2000/6/26 (月)
優勝カップを手に喜ぶ山口さん(左)と杉崎さん=芙蓉カントリー倶楽部 |
2000県アマチュアゴルフ選手権大会の最後を飾る男子シニア60歳代の部、70歳以上の部決勝が6月26日、藤沢市大庭の芙蓉カントリー倶楽部(60歳代の部6242ヤード、70歳以上の部6051ヤード、ともにパー70)に計183選手が参加し、18ホールストロークプレーで熱戦が繰り広げられた。
2000県アマチュアゴルフ選手権大会の最後を飾る男子シニア60歳代の部、70歳以上の部決勝が6月26日、藤沢市大庭の芙蓉カントリー倶楽部(60歳代の部6242ヤード、70歳以上の部6051ヤード、ともにパー70)に計183選手が参加し、18ホールストロークプレーで熱戦が繰り広げられた。
フェアウェーが狭く、ショットの正確さが求められるコース。参加選手は、ベテランらしい多彩な技で順調にスコアを伸ばした。両部門ともにトップは同スコアのカウントバックにより決まる大接戦となった。
155選手が出場した60歳代の部を制したのは、杉崎積選手(小田原)。前半2オーバーで折り返したが、後半3バーディーを奪って追い上げ、同スコアの佐藤伊佐緒選手(横浜)に競り勝った。
28選手が出場した70歳以上の部は、山口梅吉選手(大和)と、国本保雄選手(相模原)が78ストロークで並んだ。最終18ホールをパーで上がった山口選手が、ダブルボギーだった国本選手を制し、初優勝に輝いた。
◆81歳の松浦選手/腕前は健在「91」で回る
〇…出場選手中最高齢は81歳の松浦益司郎選手(南足柄)。トータル91で回り、「目標としていた100を切ることができた」と満足そうだった。
「アップダウンが激しいコースで、正直きつかった」と話すが、4つのホールでパーを記録。過去四回エージシュートをマークした腕前は、まだまだ健在だ。
松浦さんは1998年の長野五輪まで全日本スキー連盟の副会長。「若いころは」スキーのアルペン競技の選手としてならし、冬季国体の神奈川代表選手にも選ばれ入賞も6度経験している。
足腰の強さはスキーで培われたもの。「年1回のエージシュートを目標に、まだまだ続けるよ」と意気軒昂なところを見せていた。
攻めの姿勢が光る
◆60歳代優勝杉崎選手
60歳代の部で逆転勝利を決めたのは、キャンセル待ちで"飛び入り参加"した杉崎積選手(63)=小田原。朝八時にゴルフ場に到着し、3人の欠場者が出たため出場できた。
芙蓉カントリー倶楽部でのプレーは5年ぶり。フェアウエーの狭いコースに苦しみ、前半は2オーバーと出遅れた。だが、「距離の短いコースだから、得意のショートアイアンで攻めていこう」と、気持ちを切り替えた。
後半はミドルホールのセカンドショットがことごとくピンに絡んで3、6、8番とバーディー。「前半がもっとよかったら、守りに入っていた。悪かった分、自分の攻めのゴルフができた」と納得の内容だった。
「おれは攻めのゴルフだから、駄目だと80ぐらいたたいちゃうけど、いい時はアンダーパーが出る」と杉崎選手。ゴルフ歴は約40年になるが、攻めの姿勢は変わらない。そして、年齢を取った分、少しだけ我慢強くなったという。
「今日のプレーをみても、ゴルフはあきらめちゃ駄目。投げないで、チャンスを待つんだ。アプローチやパターは、まだうまくなると思う」と、さらに何かをつかんだ様子だ。
これまで、県アマゴルフには「ずいぶん前に3回出ただけ」とあまり縁がなかった。今回は親しい友人が出場するためエントリーしたところ、締め切りにわずかに間に合わなかった。
この日は「出られるか分からなかったけど、家にいてもつまらないから来てみた。おれなんかが優勝しちゃって、他の選手に失礼だね」と、豪快な笑顔で喜びを表現した。
来年は「せっかく優勝したから、早めに申し込んで、出させていただきますよ」とにっこり。明るく若々しいシニアチャンピオンは、連覇に意欲を見せた。
第一人者に新たな「冠」
◆70歳以上の部/山口選手、3度目の挑戦実る
重ねた齢(よわい)は80。そしてこの日のスコアは78。70歳以上の部に3度目の挑戦をした山口梅吉選手(大和)が初タイトルをエージシュートで飾った。
シニアアマ界でその名はあまりに有名だ。一昨年、昨年のアジアシニアのチャンピオン。全日本シニアで二度の優勝、グランドシニアで手にした栄冠も数知れない。エージシュートも「もう勘定できないよ」。初優勝というのが不思議なくらいな実績である。
強さを支えるのは、そのドライバーの距離。左足のつま先を内側に向けた独特のスタンスから放たれるショットは、同じ組で回った"若手"のだれよりも飛び、そして、フェアウエーを外さない。そしてアプローチも。最終18番では残り70ヤードの3打目をSWでピンそばにピタリ。パットも難なく沈め、きっちりパーで締めくくった。
これで先にホールアウトした国本保雄選手(72)=相模原市=と同スコア。スコアカード上でのカウントバック方式のサドンデスで、ダブルボギーで上がった国本選手を上回った。
実は昨年、この18番でボギーをたたき、同じくサドンデスで敗れている。今年は手堅くまとめ、初優勝と同時に、その悔しさも晴らしてみせた。やはり、役者が違った。
「強さの秘けつ? 60歳でたばこをやめたことかな」。本人はおどけてみせたが、ことプレーに関しては話は別。「今日はパットが全然ダメ。1オーバーぐらいで回るつもりだったんだけど」。9度のパーオンでバーディーは一度だけ。3パットが六度もあったことが気に入らない。「来年はもっといいスコアで優勝するよ」。その貪(どん)欲さがまた、強さを支えている。