2002/6/17 (月)
県内のアマチュアゴルファーが頂点を競う「神奈川アマ2002」は6月17日(月)、相模原市の相模原ゴルフクラブ(西Out、In、東Out、10,249yd、Par109)で男子の部決勝を行い、164選手が参加して27ホールストロークプレーに熱戦を展開した。
約2カ月半にわたる大会の締めくくり。実力者ぞろいの上、コンディションもよく、決勝にふさわしいハイレベルな争いとなった。チャンピオンに輝いたのは、昨年のシニア50歳代の部優勝の山本秋夫選手(横浜)。前半18ホールを3アンダーで折り返すと、後半9ホールをさらに3ストローク短縮。7バーディー、1ボギーでトータル6アンダーと、安定感あふれるゴルフで栄冠を手にした。
2位には2アンダーの107ストロークの鹿島康裕選手(相模原)と、2000年王者の金子光規選手(横浜)が並んだ。連覇を狙った前年優勝の石井保行選手(厚木)は、1オーバー、110ストロークで8位タイだった。
来年の決勝シード権は、3オーバー112ストロークまでの上位20選手が獲得。準決勝シード権は123ストロークまでの上位120選手が得た。 (和城 信行、真野 太樹)
果敢に難コースを攻略
"遅咲き"の市民ゴルファー
有名選手に気後れせず
思わぬ伏兵が、優勝をかっさらった。
前半18ホールを終えた段階で、2000年優勝の金子選手(33)と山本選手(54)が3アンダー。元日本代表で、今年の日本アマチュア選手権にも出場する金子選手が有利と思われた。が、山本選手がそこからスコアを伸ばす。終わってみれば7バーディー、1ボギー。圧勝だった。
山本選手は、競技ゴルフを始めたのは40歳を過ぎてからという、いわゆる市民ゴルファー。会社勤めの傍ら、競技を続けてきた。だが、この日はビッグネームを相手に、全くおくするところがない。
相模原GCは、5月7日の関東アマブロック予選で1オーバーをマークした相性のいいコース。さらに、最後の9ホールが「一番難しいから、一番好き」という西のイン。「やってやろうっていう気持ちだけで、緊張はなかったよ」と最終9ホールを振り返る。
その言葉通り、西のインは最初の10番(ショート)で約10メートルのパットを入れてバーディー。難度の高い16番(ミドル)は「今日一番」というラフからの第2打をピン横にピタリとつけた。
「最後の18番にカメラマンとかギャラリーがいて、そのとき初めて優勝を意識した」と山本選手。勝負ではなく、最後までコースに立ち向かった挑戦する心がビッグタイトルをもたらした。
多くのゴルファーを勇気づけそうな、遅咲きのチャンピオン。「強い選手をみんなやっつけちゃたな。でも、今日はまぐれだよ、まぐれ。応援してくれた仲間や会社の人に感謝だね」と山本選手。落ち着いた笑顔が、印象的だった。 (和城 信行)
「対照的」な2位タイ
鹿島選手 我慢のゴルフ
出だし好調も 金子選手
2アンダーで2位に並んだのは、鹿島康裕選手(37)と金子光規選手(33)の2人。鹿島選手は「前半はドライバーが当たらなくて苦しみました。我慢、我慢と思って、イメージ通りに飛び始めるのを待ちました」と長かった27ホールを振り返った。
最初の東アウトはパープレー。続く西アウトを2バーディー、ノーボギーの34でまとめてからは、安定したプレーを続けた。ゴルフ歴は17年だが、今年2月に右ひざの半月板を損傷し、2週間の入院生活を余儀なくされた。「退院しても2ヵ月はクラブを振れなかった。あの間は、苦しかったですよ」。復帰後は、2ヵ月間で15ラウンドをこなし、この日は久々に実戦で自分らしさを発揮した。
対照的に金子選手は徐々に調子を落としながらも、何とか2位に踏みとどまった。「出だしはよかったけど、途中からバーディーパットが入らなくなって……。まあこんな日もありますよ」と苦笑い。スタートの西アウトでいきなり3連続バーディーを奪ったが、その後はわずか1バーディーに終わった。
7月には日本アマに出場する実力者は「ショットは少しずつよくなっているんで、予選を通過して、マッチプレーに進みたい」と気持ちを切り替えていた。 (真野 太樹)
昨年覇者は8位タイ
99、01に続き、大会初の3度目の優勝を目指した石井保行選手(41)は、1オーバーで8位タイに終わり、「ボールを左に引っ掛けてしまって、ボギーを何度も出してしまった。この結果は情けないし、自分自身に頭にきますよ」と悔しがった。
西アウトからのスタートだったが、最初の1番でボギーとつまづく。2番でバーディーを奪ったものの、3番でボギーと波に乗ることができなかった。「何とか修正しようとしたけど、最後までダメだった。先週の関東アマから同じミスを繰り返していますね」
勝負に強くこだわる負けず嫌い。最後まで実力を発揮できず、「悪い癖を直していかないといけない。少なくとも、試合中にコントロールできるようにしたい」と、7月の日本アマに向けて反省していた。